こんにちは。
よく通る場所で、住宅以外の建物が工事されているとわくわくしませんか?
もともと工務店だった場所が工事されていて、何ができるのか様子を伺っています。
昨年はわくわくしていたらこじんまりしたカフェができたので、今回も期待しています。
現在専業主婦です
毎日やらないといけないことは本当に少しだけです。
凝った料理も作らないし、毎日の掃除はざっとしかしていません。
となると、息子が学校に行っている間、自由です。
スーパーに行ったり、ドラッグストアに行ったり、図書館に行ったり、銀行に行ったりしていますが、全く予定がない日もあります。
正直、今日暇だなー何しようかなーなんて日もあります。
お仕事探しは継続中ですが、少なくとも学童に通わせるぐらい働く気はありません。
そうすると、自分がワーママとして生きていた5年間の、時間がなかった頃のことを忘れつつあります。
自分が自由にできる、裁量が本当になかった5年間。
残業ができないとかの働く時間もそうですが、
息子に熱が出たら休むしかないし、警報が出ても休むしかないし、
持ち帰り仕事をしたくても寝かしつけしないといけないし、
これだけ疲れていても子どもがいるとやらないといけない家事はあるし、
自分の仕事の「進め方」(時間じゃなくて)だけは唯一自分の考えたようにできるなぁと思っていた時代でした。

今私がワーママ当事者としての経験を述べても、その瞬間の当事者ではもうないので、熱量が減ってしまっています。
当事者ではなくなったこと、そのうち当事者ではなくなること
例えば、行政に求めるものは何ですか?と聞かれたら、
育休時代の私なら「待機児童の解消」
息子が保育園初期の私なら、「保育園生活の充実」「保育士の待遇改善」
息子が保育園後期の私なら、「学童保育の充実」
息子が小学校に通っている専業主婦の今の私は、「通学路の安全」「先生たちなど学校職員の充実」「PTA活動の改善」
この辺ですね。
今の私の気持ちの中で「待機児童の解消」の優先順位は低いです。
実際保育園が増えていて待機児童が減っているのもあるでしょうが。
学童保育はすごく調べました。上の子がいる保育園のママ友にもいろいろ教えてもらいましたし、引っ越しもうっすら考えていました。
なのに、今はそんなに興味がなくなってしまいました。
その「瞬間」に声を上げる
「保育園落ちた日本しね」が2016年2月です。
私自身、息子の保育園の入園が決まった時期でした。
言葉が正しかったとは言いませんが、あの時にあの熱量で声を上げた人がいることは、絶対に社会の何かを変えたはずです。
育児に関することに限りませんが、
辛い人が、そこまでじゃないけどちょっとしんどいなと感じている人が、「どうせ無駄だし」「今だけだし」と思わずに、その時に発言することって大事だとつくづく思います。
それで、その方本人もラクになるかもしれないし、もしかしたら後に続く人がラクになることがあるはずですよね。
息子の通学路で少し危ないところがあって、入学前後はとてもとても気にしていたのですが、時間が経つにつれ、
「こっち側に家がある人多くないし」「危ないのは低学年のうちだけかもしれないし(その間は付き添えばいいし)」とやり過ごしそうになっていました。
でも声を上げておけば、今すぐにでは無理でも区画整理とかある際に考慮してもらえるかもしれないという話を聞いて、
気になることは発言しておこうと思ったことからこんな話になりました。
ワーママで忙しそうなのにブログをしょっちゅう更新している人とか、ほんっっとすごいですよね(私は更新頻度が今より少なかったです)